私が医師から下された診断と「死の気配」。逃げずに正面から向き合えるようになった理由【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第25回
【「これは天罰だ」と思ってしまった私】
2021年の夏に告げられてから早二年。内臓の中身を撮影し組織を削り取る検査をちょうど四回繰り返した。医師による診断が下された日は「これは天罰だ」と思った。自分の身体をぞんざいに扱い、愚かにも対価があるからと易々とわたしを明け渡した罪であると。もちろん、経験人数と病気の発症確率に相関関係は認められないとされているし、統計によっては〈不特定多数〉の定義にもばらつきがある。加えてそのように考えること自体がスティグマの片棒を担ぐことになるのだろう。どのような生活を営もうが、きっと病気というものは前触れなく訪れる。しかしながら、まだ幼かった私の心はそう単純に割り切ることができなかった。
このことは血のつながりはないが、私と同じぐらいに、私を一人の人間として尊く扱う二人にだけ話した。それだけで十分だった。「心配をかけたくない」といった優しい強がりでそうしたわけではない。誰にもこのことについて勝手に判断され、処理されたくなかったのだ。行き場のない破裂しそうな感情を誰かの慰めや心配で癒すのではなく、自分自身の手で沈めなければ意味がないと思ったからだ。
どうしようもない絶望は嫌いじゃない。彼らは苦しさを運んでくるが、それと同時にまたとないほどの考える機会を与えてくれるからだ。これまでも何度か似た状況に遭遇したことはあるが、今回の「死の気配」みたいなものは一段と精神をひりつかせた。ここまで深く自分の生と向き合ったのは初めてで、何よりもはっきりと実感したのはちゃんと自分は様々な制限のある中で生きているということだ。精神的にどんなに自由であっても、誰しもが寿命という時間的な制限に縛り付けられている。それを完全に克服するのはきっと私が死んだ後になるだろうし、私は制限のある中で戦っていかないといけない。ある意味それを理解したからこそ、自分というものを構成する一つ一つを純度の高い、もっとわかりやすく言い換えれば私の大事なもので埋め尽くしていきたいし、目の前に広がる道を真っすぐに揺らぐことなく進んでいきたいのだ。ただそれは最短距離で飛んでいきたいとは少し意味が違っていて、一つ一つの選択肢に私の意志がきちんと存在するならば止まっても、走っても、飛んでも良いということだ。